公益社団法人日・豪・ニュージーランド協会

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協会の歴史と歩み

日豪関係が外交・経済両面で深まりつつあった1928年(昭和3年)外交、経済界の有志により、日濠協会として発足した。名誉会長には徳川家達公爵、会長には阪谷芳郎男爵がそれぞれ就任し、理事の中には外交・貿易界の重鎮や新渡戸稲造博士も名を連ねていた。

そして、設立にあたり、濠州聯邦のStanley Melbourne Bruce総理大臣から、誠に時期を得たものという祝意が寄せられた。

当時、協会は日濠双方からの外交使節ほか各界諸人士の往来あるいはラグビーのようなスポーツ・チームや青年団などの訪日にあたっての歓迎行事開催などとともに、通商関係における役割も活発に果たしていた。例えば昭和8年、状況悪化しつつあった濠州の対日関税に関して阪谷会長からライオンズ聯邦首相に対し、緩和要請の電報発電し、これに対し同首相から「深甚なる返電ありたり」と記録にある。とくに10年前後は両国問の通商協定締結の交渉が難航しており、協会は11年6月に聯邦首相はじめ通商大臣、大審院長あてに濠州側認識を求める主旨のメッセージを送った。

協定は同年12月に締結され、これを喜ぶ会長の祝電とライオンズ首相からの謝電も記録にある。さらに、昭和13年には、日本の資本と技術により採掘準備中の西オーストラリアのヤンピー・サウンド鉄鉱山はじめ全国の鉄鉱石の輸出を禁止するという事態があり、憂慮した協会は聯邦首相はじめ各方面に再考を促すメッセージを送った。このような経済開係の推移の一方、友好交流については、様々な活動が続けられた。

例えば、第一次世界大戦においてインド洋を渡る濠州とニュージーランド輸送船団を護衛する日本軍艦伊吹の荒井陸男画伯描く雄婆は、協会を通してオーストラリア側に贈呈された。昭和14年のことである。

昭和15年9月には、協会の徳川家正理事(公爵・のちに会長・名誉会長)と初代駐日公使に任命されたサー・ジョン・レーサムとのラジオ交歓放送の録音が東京中央放送局から放送された。公使を乗せた汽船横浜入港は同年12月であった。また、日本からの初代公使河相達夫の任命は昭和16年1月であり、協会は同月にそれぞれの歓迎と歓送の会を催している。そして、その年の12月には太平洋戦争の戦端が開かれ、問もなく協会は濠州協会と改名し、活動もおのずから制約やむない時代を経験した。

戦後昭和23年からの通商再開の機運の中で、かつてのような協会の復活を望む声があがり、昭和24年2月にその発起入会、6月には総会が開かれた。協会名は日豪貿易協会と決まり、徳川家正名誉会長、河相達夫会長が推擧された。続いて26年には、活動を正式にニュージーランドに広げ、日豪新西蘭協会と改称した。

なお、両国との国交回復に伴い、昭和27年にオーストラリアから初代大使E・R・ウオーカーが着任、翌年1月西春彦大使がキャンベラに赴任し、ニュージーランドとの間では代理公使が相互に赴任した。

当時協会は、英文年報「フリー・トレーデイング・ジャパン」を発行してオーストラリアとニュージーランドにも配布しており、あわせて国内では月刊「貿易資料」の発刊や「日豪貿易資料(のちに目濠会報)」による情報提供をおこなっていた。

この期間に、昭和26年関西豪州会が当時当協会理事であった谷口三樹三郎氏を会長として発足し、昭和27年には日豪新西蘭協会婦人部が誕生した。

昭和30年代に入ると、両国との関係が次第に深まり、VIP来日の頻度も以前に比べてかなり高くなって都度協会は歓迎会や懇談会を開いている。昭和33年4月のロバート・メンジス豪首相夫妻(歓迎会は経済4団体および羊毛輸入2団体と共催)をはじめ両国閣僚やオーストラリアのいくつかの州首相など訪日があり、昭和40年6月にはホリオーク・ニュージーランド首相夫妻を歓迎した。また昭和30年5月には、会議で訪日の豪財界ミッションを午餐会に招き歓迎した。そして、わが国からの両国への歴代大使や両国からの大使

(公使)の歓送迎会は従来通り開催した。なお在京ニュージーランド公使館の大使館昇格は昭和33年であった。そのほか、豪州学生選抜ラグビーチーム歓迎パーティー主催(昭和33年3月)、ニュージーランドの高峰エグモンド登頂に成功した日本の女子親善登山隊の歓迎会(昭和36年)などの記録がある。

JANZといわば姉妹関係にあり、活発に活動していた日濠学生交換連盟(JASEF)が誕生したのは昭和38年10月のことである。昭和42年6月には、高松宮殿下を協会総裁に推戴申し上げた。また、岸信介元総理を名誉会長に、両国大使を名誉総裁にお迎えした。

昭和45年の大阪万博で訪日の前オーストラリア総督リチヤード・ケーシー卿、メンジス元首相夫妻(昭和46年11月)、ガフ・ホイットラム豪首相ならびに同行の4閣僚(昭和48年10月)それぞれの歓迎行事をはじめ、協会は引き続き様々な往来にあたり歓送迎の気持ちを表す会を催した。メンジス元首相夫妻歓迎午餐会では、岸名誉会長が、昭和32年における対日感情いまだ微妙ななかにおけるメンジス首相訪日と岸首相訪濠、豪州製造業界の反対を押し切って行ったメンジス氏の日豪通商協定署名にふれ、そのステーツマシンップを称えたが、昭和30年代初頭における両首脳の相互訪問は両国間の扉を大きく開いたものとして記憶されていいであろう。また、昭和42年には佐藤総理のオーストラリア訪問、昭和49年には田中総理のオーストラリア・ニュージーランド訪問があり、協会は田中総理歓送会を開催した。

昭和40年代における特筆すべきこととして、皇太子殿下ならびに同妃殿下(今上天皇陛下ならびに皇后陛下)のオーストラリアおよびニュージーランド公式ご訪問がある。協会はこれ

に先立つ昭和48年4月27日、帝国ホテルにおいて歓送午餐会を催し両殿下の御臨席を賜った。また、三笠宮宜仁親王殿下すなわち現桂宮殿下は昭和46年からキャンベラのオーストラリア国立大学において歴史ご研究のためご留学されたが、先立つ同年5月20日にホテル・ニュ一オータニにおけるJANZの歓送晩餐会に御成りをいただいた。

また、昭和49年にはニューサウス・ウエイルズならびにクイーンズランド両州の洪水被災およびダーウイン市のサイクロン被害に対し協会はそれぞれに募金を行い見舞金を贈った。その他、シドニー日本人会の委嘱により昭和44年から47年まで、日本人学校設立寄付金募金を行い、その総額5169万円は、校舎建設・家具機材購入他に充当された。

50年には、沖縄海洋博があり、オーストラリア・デ一式典にはJANZからも賑やかに参加した。そして、50年代にもVIP往来やそれぞれの大使交代時などの関連行事が都度続けられた。また、次のような事業もあった。

ウェリントン・シタデル金管バンド演奏会(昭和54年4月東京・浜松・名古屋・京都・前橋)第2回AJF(豪日交流基金)杯日豪親善ゴルフ試合(昭和54年7月 於スリーハンドレッドクラブ) これは第1回が前年メルボルンで開催され、第2回は当協会が主催したものである。大会名誉会長岸信介、会長永野重雄であり、選手には青木功・尾崎時司・湯原信光・樋口久子・大迫たつ子・ピーター トムソン・グレッグ ノーマン等32名の参加があった。

また、西オーストラリアのインド洋岸オーガスタス島における白蝶貝による真珠養殖に力を尽くした栗林徳一(当時 日宝真珠株式会件会長)ほか2人の功績を記念する銅像を同州に建立する事業に協賛した。1977年(昭和52年)のことである。昭和53年に設立50周年を祝った協会が外務省所管の社団法人になったのは昭和61年であった。そして平成元年には、亡き高松宮様のあと、桂宮宜仁親王殿下を総裁に推戴申し上げ、協会の活動に暖かいお励ましをいただくことになった。

昭和63年 (1988)はオーストラリア建国200周年にあたることから、豪州政府の記念事業の一環としてキャンベラに建設されることになった科学センターについて、わが国に資金協力要請があり、斉藤英四郎経団連会長を座長として豪州建国200年記念懇話会が設置され、同会長・五島昇日本商工会議所会頭・当協会斉藤鎮男会長連名で募金活動を行いJANZとしても建設実現に協力した。

この年は協会の60周年にあたり、4月19日、皇太子殿下・同妃殿下(今上陛下ならびに皇后陛下)ならびに高松宮妃殿下・桂宮殿下のご臨席のもとホテルオークラにおいて記念晩餐会を開催し、日頃ご厚誼を頂いている多数の方々がご出席くださった。

そして、やがて時代は平成へと移る。

平成10年(1998年)に70周年を迎えた協会は、秋晴れの11月16日の宵にパレスホテルにおいて記念レセプションを行った。今回も皇太子殿下・同妃殿下および桂官殿下のご臨席を仰ぎ、豪州・ニュージーランド大使ご夫妻はじめ在京の両国の方々をも交え、各界各方面のお客様や会員の皆様が賑やかにご参加くださった。いずれも協会として平素大変お世話になりまた親しくさせていただいている方々であり、中には東北や中部・関西など遠方からおいで頂いた方も多数であった。

また、平成24年4月1日より公益社団法人改革に伴い、名称を『公益社団法人日・豪・ニュージーランド協会』とし、JANZは新しい時代に向かって歩みはじめたのである。

しかしながら、平成26年6月8日、当会総裁であられた桂宮宜仁親王殿下が薨去された。 会員一同は謹んで故宮様のご冥福をお祈り申し上げると共に、宮様のご功績に思いをいたし、そのご遺志を引き続ぐ決意を新たにしたところである。

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